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コミックマーケット 二日目&三日目

2008年12月31日 水曜日

12/29 可南子〜闇に降り立った天使〜
10836歩-7.4Ex, 14655歩
コミケ二日目。東に9:30到着したところ、10:30には入場していた。はええ。
 マリみてを漁るのが本日の目的。初手の忙しい頃にべるさんにお会いしたが、こんなときにまともな挨拶が出来るわけもなくさっくりと別れる。
 荷物が多くなっていて腕が痛くなってきた頃、美術部さんに並ぶ。そこで、はなさんが手にしていたのは巨大な可南子の紙バッグ。手持ちアイテムを一つにまとめられる効果は絶大と判断し購入。「ご自宅まで大切にお持ちください」「今使っちゃ駄目ですか?」「全然OKですよ」というわけで早速利用したおかげで、荷物をなんとかまとめることができた。
 帰りは水上バス。今回は早めに座れた(出航まで時間があった)ため地ビールにチャレンジ。うめぇ。ただし、ちょうど酔いが回ったところで船旅終了。うーん、もう少し酔ったまま観光していたかった。

12/30 奏〜いもうと〜
 14936歩-9.9Ex, 20372歩
 マイナス1時起き。計画は、音を立てて、崩れた。
 突如発生した売り子の仕事。やる気が出ないので、とりあえずコスプレして気合いを入れてみる。瑞穂ちゃんのコスプレだ。
 ところが、まだやる気が出ない。自動的にちこぷりんかんぱにぃ→おとボク島とすすみ、新刊をひたすら買いあさる。その様子はゾンビがごとし。祭屋さんの仕込んだネタに気がつくだけの注意力も残っていなかった。
 さらにやる気のない状態は続く。一般参加者の方がお客さんで来ているその場で、対応もロクにせずコピー本のブックカバーを折り続ける瑞穂きゅん。最低だ、俺って……
 それでも、れんぢ電子さん(新刊を委託し90部販売いただいた+100円玉釣り銭1本)、むげんれんささん(100円玉釣り銭2本)他各位のご助力あり、なんとかしのぎきる。
 さらにご助力いただいたところでコスプレ撮影会を実施。知り合いのドーラン奏ちゃんを見つけペア撮影。さらに、場所を移してソロ撮影(←私のコスプレを見たいという人が某チャットにいるため。ナルシストなんかじゃないんだからねっ!)。この間、コスプレ広場を第1→第2→第1と渡り歩くが、上記奏ちゃん以外のおとボクコスを見ることはできず。おとボク島周辺には結構いたんだけどなぁ。

 打ち上げ。いろいろと交通の便を考えたところで、八重洲地下街での食事→飲み会、という形に決定。
 三日目は水上バスじゃなくて、ふつうの急行バス。発車間隔があまりに短く驚く。
 八重洲地下街で豚骨ラーメンをいただき、チャーシューのうまさに感激する。
 その後お酒を入れたところでぶっちゃけトーク実施(自動車運転する方はお酒飲んでいなかったけど)。オンラインにした瞬間炎上しそうな危険トークも飛び出すなど、オフラインならではの充実した酒席を楽しんだ。(ちなみに、祭屋さんのネタに関する指摘があったのもこの酒席。ゆっくり見れば気がつくものだったわけだ…… orz)
 冬コミの問題はいろいろと引きずるものもあるが、久々においしいお酒を飲めました。年末年始も忙しそうだけど、それを乗り切れるパワーはおとボクからもらえたと思う。

 体重 71.0kg
  まあ、飲んだし。

誤植訂正のおわび(12/31)
 可南子を可奈子と誤記した点を修正。両キャラクターのファンのみなさまに不快感を与えた点をお詫びいたします。申し訳ありませんでした。

「百合」の言葉を定義する ―― clarify “yuri” as a difference with “sho-jo ai”

2008年12月18日 木曜日

 本章は2008年5月より執筆を開始したものですが、「百合」への理解不足が原因で完成が遅れてしまったことを、まずお詫び申し上げます。

 さて、この間、本コラムを見ていただいた方の日記にて、次のようなコメントをいただきました。

『マリみて』は百合(恋愛物)でなく友情物である。 それの唯一かつ成功した模倣は『おとボク』って論。
友情物であるのは分かるが、それが即百合でないというのは 定義の問題か?
――TomOne の ねもと6月11日の日記より

 このご指摘はごもっともであり、本来では最初に解消すべき疑問点でした。
 しかし、「本題と少し遠い/非常に難しいから」と後回しにしていたことをお詫びするとともに、本章では、この問いに答えるべく、百合の「定義」についてじっくりと考察していきたいと考えています。

5.1 百合論 ――百合とレズは何が違う?
 web上で「百合」を扱う論説では、「百合」と「レズビアン」の区別は明確に存在しているとされる。しかし、私は寡聞にしてその差を定義している論説にお目にかかったことはない。百合とレズビアンの差を語るサイトは多くあるが、ケーススタディに耐えうるだけの頑健さを持つだけの論理性を持たず、それゆえ、これらの差の定義に失敗している印象しか残らない。
 一つの言葉は多数の意味を持ち、その解釈は人によって多種多様であることは言うまでもない。しかし、言語の定義を自らの感覚のみに任せ、自らの用いる単語の定義を示さないことは、言葉の曖昧さに対する責任をすべて読者に押しつけることとなる。
 これは、読者のための論説としては致命的な失敗――あるいは、論者失格の烙印を押されるべき傲慢――と言える。
 したがって、まずは私なりに、「百合」という言葉を再定義することから始めたい。

 ただし、正しく定義するということは、それ自体が非常に難解であり、数多くの論者がこの点を曖昧にしたまま気がつかないことはある意味致し方ない部分もある。

なにかを定義するとき、属性を挙げて対象を記述することは比較的たやすい。しかし、対象の本質を明示的に記述することはまったくたやすいことではない。
――福岡伸一「生物と無生物の間」(講談社現代新書,2007)

 話の前提として、現在この二語についての現状を、私の視点から確認したい。
 「百合」と「レズビアン」の差について、現状統一した見解は存在していない。しかし、百合とレズビアンという二つの言葉について、厳然と区別している論者は多く存在している。
 もっとも多い区別としては、百合は精神的なもの、レズビアンは肉体的なものとする考え方である。要するに、性的関係を持った場合はレズ、持たない場合は百合とする分けかたである。
 また、これに関連し、レズビアン関係のもつ「女特有の執念」が存在しない同性愛が百合とされることも多い様子である。
 あるいは、単純に「二次元(アニメ、アダルトゲーム等)」を百合、「三次元(現実、あるいはアダルトビデオ)」をレズビアンと分ける場合もある。
 もちろん、最大の派閥は「百合」と「レズビアン」を全く同じものとして扱うものである。本稿でも、前章まではこの定義を採用している。しかし、この定義を採用してしまうと、百合論において、百合とレズビアンを区別する理由――あるいは区別する目的――が消えてしまうため、本章でこれを採用することはできない。

5.1.1 百合の再定義 ――甘酸っぱければそれでいい
 百合という言葉を再定義するにあたり、「乙女はお姉さまに恋してる 櫻の園のエトワール」(以下エトワール)の感想文のなかで、注目すべき一節を引用する。

お嬢様学校で百合モノという幻想を恥ずかしげも無く形にしたものです。
(中略)
ただガチな百合モノというよりはどちらかと言うと、女子同士の甘酸っぱい先輩後輩って感じでした。
――masa-no-ji、「空の灰皿」記事 [ライトノベル]『乙女はお姉さまに恋してる』読了より

 これは、エトワールは百合ではないとする感想であるが、そのいっぽう、同書は百合の傑作とする感想も多い。未定義語である「百合」か否かの議論は横に置くとして、ここで注目すべきは、「甘酸っぱさ」というキーワードである。
 作品世界におけるキャラクターの感情をなぞったときに、甘酸っぱさを感じるか否か。百合の名作と名高い(が、私は第1章で百合ではないとしている)「マリア様がみてる」シリーズ(以下マリみて)においても、「先輩後輩の甘酸っぱさ」を感じさせる表記は数多く、また、「友人関係の甘酸っぱさ」も同様である。

 したがって、本章では、百合を「甘酸っぱさを本質とする女性同性愛」、レズビアンを「甘酸っぱさを本質としない女性同性愛」と定義する。

 この定義は、「性的関係の有無」、「女特有の執念」、「二次元/三次元の区別」などの区別を大まかには含むこと、ただし完全には含まないことに注意する。性的関係をもつ人間関係は多くの場合、甘酸っぱさを感じる人間関係よりずっと近い距離にある。独占欲に支配された後には、葛藤により生まれる甘酸っぱさは存在できない。また、現実世界で甘酸っぱさを感じるのは恋愛をしている当人だけであり、性的交渉を主眼とするアダルトビデオに甘酸っぱさを取り入れるには冗長が多すぎる。

 さて、マリみてやエトワールが「百合でないのに百合と評価される」ことについて、以下の推論が成り立つ。
 1. 友情や先輩後輩の近しい関係は甘酸っぱさをふんだんに感じさせる。
 2. 女性同士の近しい関係性である。これは、女性同性愛を示唆するような誤読を招く。
 3. 1.および2.より、「女性同士の近しく甘酸っぱい関係」を「甘酸っぱさを本質とする女性同性愛」と取り違え、百合と解釈してしまう誤読を招いている。

 この誤読は、第1章に述べた「百合ではない」が「百合としてみることが可能」な解釈にあたる。

5.1.2 百合の公理系 ――甘酸っぱさって何なんだ?
 さて、上記の「甘酸っぱさ」という言葉について、定義を与える必要がある。
 百合論における甘酸っぱさを定義するにあたって、一度辞書より定義を引く。

あまずっぱ・い 5 【甘酸っぱい】
(形)
(1)甘みと酸っぱみとがまじった味やにおいである。
「―・いパイナップルの香り」
(2)こころよさに少し悲しみを伴った、やるせない気持ちである。
「―・い初恋の思い出」
[派生] ――さ(名)
(三省堂 大辞林第二版; goo国語・新語辞書より)

あまずっぱい 甘酸っぱい
sweet and sour; tart.
・〜青春の思い出 bittersweet memories of one’s youth.
(三省堂 EXCEED 和英辞典; goo和英辞書より)

 このとおり、甘酸っぱさの語そのものは、恋愛と直接結びつく定義ではない。ただし、用例としては恋愛や青春といったものに多く用いられている様子である。

 ここから、甘酸っぱさについて、考えていく。
 やるせなさと書かれているところから、甘酸っぱさ人間関係を示す語であることは明白である。また「悲しみ」とある点から、近しい関係であることもわかる。すなわち、甘酸っぱさとは恋愛や友情など、近しい人間関係に適用される語である。辞書を見ると、甘酸っぱい、という語には初恋や青春などの例が引かれていることからも、納得できよう。

 このとき、甘酸っぱさについて二つの意味を見いだすことができる。
 (公理系A)甘酸っぱさとは、青春を構成する人間関係における複雑な感情を示す。
 (公理系B)甘酸っぱさとは、恋愛を構成する人間関係における複雑な感情を示す。

 いちど、百合の定義を少し広げて、「甘酸っぱさを本質とする女性間の人間関係」と再定義し、これを広義の百合とよぶ。
 確認まで、本章では百合を「甘酸っぱさを本質とする女性同性愛」と定義している。以降、これを狭義の百合とよぶ。
 広義の百合の定義を用いて、公理系Aを用いて意味を解釈すると、「青春としての女性間関係」となり、これは狭義の百合とは一致しない。この意味を用いると恋愛ばかりでなく友情や近しい上下間関係なども本定義に吸収されることから、百合とレズビアンは明確に異なる意味を持つ。通常用いる「青春」との差違は、人間関係に男性を含むか否か、として明確に分離できる。
 同様に公理系Bを用いて解釈すると、「恋愛としての女性間関係」となり、狭義の百合と意味が一致する。このとき、レズビアンとの差は「複雑な感情」の有無にとどまるが、近しい人間関係はそもそも複雑な感情を持つのが一般的のため、レズビアンとも意味が一致する。

 次章では、公理系Aを用いて再定義した百合を「青春としての百合」、公理系Bを用いて再定義した百合を「恋愛としての百合」とよぶ。
 このとき、百合・レズビアン対比論を含む百合関連の論説においては、百合を「青春としての百合」に、一般的な文脈においては、百合を「恋愛としての百合」に定義づけている、と推定できる。
 もちろん、「恋愛としての百合」は上記の通り「レズビアン」と同じ意味をもつ。

5.1.3 百合の定理系――実例で考える
 以上で話のほとんどは終わりであるが、定義ばかりで退屈された読者も多いと思う。
 そんな、「だから何?」の声にお応えして(←いつアンケートとったよ?)、この定義で説明できることの一部について、例を挙げて説明していきたいと思う。

 (例1:マリみては百合か?)
 第1章に提示したとおりマリみては友情を中心とした人間関係を描いているため、「青春としての百合」であればYES、「恋愛としての百合」であればNOという結論を得る。
 本章以外において、本論説は百合を「恋愛としての百合」と定義し論述しているため、論説全体における不整合は存在しない。また、マリみてを百合の金字塔と定義している各種論説も、百合を「青春としての百合」に定義すれば整合する。

 (例2:おとボクは百合のようなものでいいのか?)
 第1章に提示したとおり、おとボクの場合、実性別に目をつぶれば「青春としての百合」「恋愛としての百合」の両方に当てはまる。このときに問題となるのは、瑞穂が男性である点だが、この点の対応も第2章・第3章で確認済み。

 (例3:ストパニを百合と定義したくない人々がいる)
 ストパニの場合、「恋愛としての百合」については問答無用だが、「青春としての百合」について疑問点が少し残る。この疑問点については、主要な人間関係を「擬似的な恋愛」として表現する同作品の性質から、青春としての価値観が損なわれている可能性について指摘することで疑問点を明白化できる。

 (例4:「百合」の議論が紛糾する理由)
 世の中で「百合」をめぐって議論が紛糾している理由については、上記の定義を比較すれば明らかであろう。複数の論者が同じ言葉を巡って、「恋愛としてOK」「青春としてNG」など、定義のすりあわせを実施することなく自前の理論を語り続けているのではきりがない。
 筆者の感触では、男性の場合は人間関係を重視するタイミングが成長の遅いタイミングであることから、恋愛と青春の共通点が少ない。このため、男女間の関係については、恋愛と青春の区別は比較的容易である。
 しかし、女性間関係の場合は早くから人間関係を重視し、人間関係のスキルを磨くことが重要であるため、人との親しいつきあいかたについてが青春の主眼となる場合が多いと推定される。このとき、友情と愛情の境界を考えるなど、青春と恋愛のオーバーラップが多く、また境目の曖昧さが問題となりやすいため、「百合」の用語定義がぶれやすい。
 蛇足ながら、この議論ではもちろん、初恋などの恋愛と青春を同時に兼ね備えたケースについては考慮の対象外である。

5.1.4 まとめ――感覚は、感覚によってのみ定義される
 本章では、次のことを述べた。

 (1)女性間関係の「甘酸っぱさ」として、百合を再定義した。
 (2)百合とレズビアンを同一のものと見る向きを、甘酸っぱさ=恋愛、の解釈に落とし込んだ。
 (3)百合とレズビアンを異なる用語と見る向きを、甘酸っぱさ=青春、の解釈に落とし込んだ。
 (4)(2)と(3)について例を挙げ検討した。

 これにより、百合という言葉の定義の差を明白とし、議論をわかりやすく整頓することが可能となった。
 なお、「青春」と「恋愛」の個別の用語定義について感覚による解釈の余地は残っているが、個人の認識が感覚によって成り立っている以上、定義の曖昧さはどうしても残る。
 ただし、典型例のみを示し定義を読者に委ねる方法に比べ、曖昧さの原因を追求し、簡潔な定義の中にそれを示していることで、「言葉の曖昧さ」に関する説明責任は果たしたと考えている。

ボクみて8メモ

2008年11月16日 日曜日

・4ページの下書きとペン入れを1日で完了する。
 品質?なにそれおいしいの? ……という精神状態。

・最後のページが上がったのが朝8時。コスプレの準備を完全放棄が決定。ショート丈だし自重すべきとも思われ。

・久々の現地製本。ふたりがかり・8ページ・30部ならすぐ終わる。

・スタダ成功。新刊が少ないように感じたが果たして……?

・某サークル様が混み合っていたので、購入後即脱出してスタッフさんを呼びに行く。スタッフさんに列整理をしていただいている間、そのスタッフさんが担当されていた委託同人誌の売り子を実施。

・クイズについて、点数は想定通りだったが、まさかあの問題が全滅とは……

・某PJについて、挨拶回りする人がいない。仕方がないので、その場にいた情報システム担当を挨拶回りの責任者に仕立て上げる。

・色紙について、今日が11/16(貴子さん誕生日)という点を意識してイラストを仕上げる。

・某サークル様さんのスケブげとずさー。すばらしいSD瑞穂ちゃんをありがとうございます!

・クイズ解説実施。ポイントをしぼって簡潔に解説。「美智子さん専用の家庭教師:ミリア・ハツキ先生、理由:圭さんが召喚するから」のネタ回答例に笑っていただけてほっとする。

・うぃーっす、WAWAWA忘れ物……というわけでじゃんけん大会不参加。欲しい色紙はあったが仕方がない。

・飲みまくって食べまくって帰ってくる。帰ってきたあとおとぼくおえびに落書き。よっぱの割には可愛いイラストに仕上がった。あくまでよっぱの割には。

いちど背負った十字架は投げられない

2008年10月12日 日曜日

十月のロザリオ、行って参りました。

・朝〜朝だよ〜
 前日22時には眠かったので寝たところ、10時間睡眠。
 ……いや、最近は無理してた覚えないぞ……(←ここ1ヶ月ほど微熱が続いているひと。自覚症状あったのは9月下旬の1週間強くらいだったのですが……なぜ治らないんだ)

・朝ご飯たべてイベント行くよ〜
 電車の中で、行きがけに買ったサンドウィッチをほおばりながら(←イベント恒例。よい子はまねしちゃダメですよ)、PiOへ向かう。
 マリみての新刊を読み始め、半分くらいまで行く。蔦子さんかわいいよ蔦子さん。

・私の名前、まだ覚えてる?
 会場に入る直前、べるさん@えめらるど☆ふろうじょんにお会いする。前回お会いしたときにも雰囲気が変わったことに驚かされたが、今回はさらに変わっていて、声をかけられるまで判別つかなかった(申し訳ないです)。
 んで、いつものとおり、小西マキさん@野いちごチャンネル、はなさん@美術部(コスプレ売り子さん)に一言ご挨拶して、ぐるぐる回る。
 ……あっれー? べるさんの本があるよ?
 今回は、どうやら一般ではなくサークル参加をされていたご様子。

 他にもぐるぐる回ってみるものの、新刊コピー本はすでに売り切れているサークル多数。マリみてオンリーの宿命とあきらめる。

・春が来て、ずっと春だったらいいのに……
 ぐるぐるまわっていると、見知った顔(とととさん@ドム御一行)が一人でコピー本を作っている。さらに、列が形成されている。
 当然のように、並んだ。買った。ごちそうさまでした。
 少し待つと、新刊が売り切れていたので改めてご挨拶。新刊を増刷したいとのことで、休憩がてら売り子を申し出る。
 コピー終わったところで、とととさんから飲み物をいただく。ごちそうさまでした。

・約束、だよ
 さらにぐるぐるまわりつつまったりしていると、ふとしたタイミングで、とととさん、おずまろさん@クレシェンドとの3人での雑談となる。
 ……主な話題は、某プロジェクトのお話だった。
 入稿仕様に関する問題点の指摘が主で、お二人とも、特にデジタル/アナログ混在データでの解像度仕様に関する不安を口にされていた。コミックなどのデジタルデータにおいては、スキャニングや解像度変更などに伴う画像の不適切な拡大・縮小を原因とする画像の乱れ(モアレ)が極端に嫌われるが、同人誌印刷に対する入稿の仕様としてモアレの回避が難しそうだとの洞察によるもの。このあたりは経験者しかわかるものではないが、お二人ともこの点を非常に不安に思っているご様子であった。
 とくに同人誌印刷では、入稿ミスや印刷所のミスを原因とするモアレは起こりやすい半面、印象の極端な変化を伴うため絵師さま方には特にいやがられるとのことで、「アンソロジーでは、モアレ一つでコミュニティが壊れる」との厳しいコメントもいただいている。

・ボクのこと、忘れてください……
 とととさんの新刊再版も売り切れたところで、Wizブレ新刊を探して寄り道しながら帰宅する。
 家に帰ってmixiメッセージを開くと、とととさんからメッセージが。

で、実は机に同人誌をお忘れになってませんでしょうか?

 ……あーっ!!!!!!!!!! orz

C74は無事終了

2008年8月18日 月曜日

1日目(不参加)
 夕方のおとボクイベント行ってました。
 欲しいのがるい智グッズだけだったので、話を聞く限り参加を諦めて大正解。

2日目(一般参加)
 初手:時華
  コミケ唯一のWizブレサークル。今回のコミケで私が訪れたサークルでは頒布部数が最小と思われるが、印刷の絶対部数が少なかったため、全く読めないサークルでもあった。
  新刊・既刊1冊ずつげっと。こういう小さいジャンルの本には愛があふれている。

 二手目:M駅から徒歩15分
  お次は、今回のコミケで訪れた最大手。小説二冊は読み応えありそう。

 三手目:クレシェンド
  マリみてとおとボクの新刊を同時に出してくるサークル。きっちりゲット。

 以下、マリみてとPC系とぼかろを軽くみて買い物終了。その後にコスプレ広場→企業スペースと見て回り、東マリみてサークルあたりで某同盟の会長と合流。軽くだべって帰宅。

三日目(サークル参加)
 朝起きたら、起床予定時刻を三時間半ほど過ぎていた。
  利点:睡眠時間を確保できた分だけ頭が冴える
  欠点:コスプレ衣装を準備し、身だしなみを整える時間がない
 従って、コスプレは早々にあきらめ、サークルのおつりと共同購入の準備だけして出発。
 今思えば、この寝坊は天恵だった。

 おとボクと無関係の知り合いに、余分なサークルチケットと引き替えに14時以降のおとボクサークルを手伝って貰う約束を取り付けてあったため、チケットを渡して一緒に会場入り。
 おとボク関連の共同購入とりまとめと某サークルの売り子をこなす計画となっていたが、サークル入場時刻を過ぎても主宰が来ない、本が届かない。主宰との連絡手段も持っていないため「販売停止カードもらいに行こうか……」などと思っていたところ、もう一人の売り子さんが本を持ってくる。この時点で9時20分過ぎ。
 主宰が「直前まで作業していた疲れが原因で、自宅で静養している」旨をその売り子さんから聞いたところで、挨拶を速攻で済ませてからサークル設営。
 そこで目に入った、誰も存在を知らない新刊。

 ――待てや。

 新刊の数をむやみに増やして体力尽きるって優先順位違わないか、と愚痴をこぼしながら、渡し忘れた新刊を挨拶した先に渡して、カードを書いたところで準備完了。
 (* コスプレを捨てたことで助かった部分その1、主宰欠席でも、共同購入&9:20からの設営を間に合わせることができた。睡眠十分の頭で、東456ホールへの初期人員配置を不要と判断できたことも大きい)

 最初にごく短時間だけ売り子をしてから、買いに走る。サークル参加の利点を生かし、混雑するにはまだ早い時間で123ホールを片付ける。456ホールの新刊チェックは人大杉で無理だったので、事前チェックできたサークルだけ買って抜け出す。

 戻ったところで、引き続き食事&コスプレ広場の状態確認を実施。軽くぽつぽつと降雨の気配があり、一通りみておとボクコスがいないと判断、さっさとブースへ戻る。
 ブースに戻ったところで、別ルートからおとボクコスプレイヤーさんの存在を知らされる。ここで、昼食の関係上カメラマンを派遣すると人数がショートするが、時刻は13:30くらい。14:00に売り子を手配していることを思い出し、カメラマンとして最適なメンバーをコスプレ広場へ飛ばす。
(* コスプレを捨てたことで助かった部分その2、コスプレを実施しなかったことで雨の判断を適切に実施できた。また、人数不足も発生させることなく売り子を継続できた。コスプレ売り子って案外大変なのよね……)

 その後、15:00頃にカメラマンが戻ってきたところで、買いそびれ一件見つける。この対応を行ったのち、共同購入の精算を開始する。精算完了のめどがついたところで、16:00。
 スペースの撤収は雨と鳥に振り回されたものの比較的順調に推移し、一休み終えてから18:00頃に離脱、東京駅で飯を食う。

 その後、打ち上げメンバーの一人の提案により某女装喫茶にお邪魔し、軽くお茶して帰ってくる。
 なんというか、スナック的? ライブハウス的? そんな感じのノリだった。お茶もおいしかったし、メイドさんたちもヤローなはずなのに可愛かったし、ネタで行くのは悪くないと思うが、ゆっくりとコスチュームやメイドさんを楽しむ、といった雰囲気とはまた一線を画しているように思えた。

 まあ、三日目のトラブルは半分以上予想できていたので、事前に一週間かけて考察してきたNounai緊急マニュアルが生きたことが大きいと思われます。
 この調子でいくと、おとボク島にいる限りコスプレできない気がするが、気にしないことにしよう。

まりや♪ 愛すべき人がいて〜

2008年6月9日 月曜日

まりやかわいいよまりや。
というわけで、6/8はまりや聖誕祭でした。
したがって、いつものように聖誕祭ネタをおえびに投稿完了。
(C’sWareネタは半公式ですが、今まで誰も使ってなかったんですよね……ふしぎ!)

んで、某まとめサイトの人が聖誕祭ネタをかき集めたところ、
・SS1作品(あまの めぐみさん)
・イラスト2作品@おとぼくおえび(Nの館さん、私)
・[2:16追記]イラスト+1作品追加@おとぼくおえび(家名さん)
うーん、遅れて出てくるのかなぁ?
このままでは、あまりにも寂しすぎる。

[7:36修正]
 不適切と読み取られかねない表現があったため訂正。眠いときに編集すると、書いた文章が「客観的にどううけとられるか」の視点が抜けてしまう orz

おボクさまが見てる? 7

2008年5月13日 火曜日

イベントでサークル参加をするときに、1時間半睡眠スタートになったのはいつの頃からだったか……

【一般参加として】
 青いうちゅうさんの新刊コピー本を既刊と見間違えて取り忘れた(今回最大の致命傷)以外は完勝。
 新刊率が高いのでほくほくなんですが、いろいろとありまして、読むのは多分再来週くらいになりそうです。

 また、今回はh.o.e.lの狛犬さまに紫苑さまのスケブをいただきました。ありがとうございます。

【サークルとして】
 前日夜中まで原稿終わって無くて、日付変わってから印刷ってどうなんだろう。まあ、いつものことなんですが。
 当日の値段表には、いなほをモデルにした瑞穂ちゃん。白薔薇本といい、逆輸入大好き人間なわたくしらしいチョイスということで。

 出したものは、予告通りカードゲーム「乙☆女☆戦☆争」、略して「おとせん(笑)」のβ版。ゆかりんが弱いんですが、この先考える方向で。

 色紙は、ネタのため綾小路瑞穂コスさせておきましたが、反応がなかったところをみると、きっと誰も分からなかったんだろうなぁ……。

 あ、桜木瑞穂さんからいただいた差し入れの手作りクッキーはおいしくいただきました。ごちそうさまでした。

【レイヤーとして】
 魔法使いの紫苑さまより背が高かったのですよ〜
 ジェバンニが30分でやってくれた椅子は、紐が短くてツンデレラさまを載せられなかったのですよ〜
 リボンの大きさと厚みを調整できず、正面からリボンが見えなかったのですよ〜 でも、一般参加の方にいろいろ教わって、改良の道筋が見えてきたのですよ〜
 集合写真で中腰になったところ、身体の大きさがかえって目立つ結果になってしまったのですよ〜
 萌部の中の方に誉められたのですよ〜
 お姉さまの誕生日ケーキに、入刀させていただいたのですよ〜、ショートケーキはいちごさんがとってもおいしかったのですよ〜
 Jack-inthe-boxさまの奏ちゃん色紙をいただいたのですよ〜

【クイズ】
 記憶がそろそろおぼつかなくなってきたところ、マニアックな問題が増えたなぁ、という印象。択一式で一気に点数アップを狙う出題者の意図は大成功したものの、問題自体の難易度はかえって難しくなっていたと思われます。
 なお、表彰はされなかったものの、ネタ問題では間違いなくトップをいただきました。問題A「瑞穂とかけて○○ととく。その心は?」は他にも上手い回答が多くありましたが、問題B「某双六ゲームのマス目のテキストを考えよ」は(会場の反応を見る限り)私がぶっちぎりトップの様子。回答者各位、特亜ネタはまずかろう……

【その他】
 CBOメンツのu-kunさん、長月さん、ときはさんの3名とご挨拶。その後、長月さんはお帰りになったのですが、代わりにyukariさんと初顔合わせ。お酒の席をもちながら、CBOについて、充実した話が展開できました。

【次回】
8月に奏ちゃん聖誕祭、11月に一子ちゃん聖誕祭が確定(日時も決まっている)。仕事とかに振り回されないといいなぁ……

3:「可愛い」は、女の子の特権じゃない ―― to be pretty is justice, even if the one is a boy or a girl

2008年4月22日 火曜日

 前章にて「『おとボク』が異性愛中心主義を助長するものでないこと」の証明は終わったように見えるが、私は前章の記述だけで、この議論を終わらせるつもりはない。前章の視点からは、別の作品世界、生物学/社会学的視点、という二つの視点が欠けている。本章では前者を、次章では後者の視点から考えてみたい。

 前章まで、マリみてが百合ではない、おとボクの瑞穂ちゃんに性別は関係ない、として、マリみてとおとボクにのみ焦点を当てて考察を行った。本章では、一度おとボクを離れ、最近ブームになりつつある「女装少年」について考えてみたい。
 二次元の世界では、そもそも性自認の存在そのものを疑う風潮が出てきている。その証拠に、2ちゃんねるなどのコミュニティでしばしば言われる言葉がある。

こんなに可愛い子が、女の子の筈がない!

この言葉が何を意味するのか、いくつかの実例をサンプリングして考えていく。
 なお、本章では物語の核心にふれる事柄やネタバレなどが多いため注意する。

3.1 女の子は知っている。可愛い男の娘の魅力を。
 女装した少年は、少年としてのシンプルな性格と少女としての愛らしさを備えることで、男女それぞれが持ちうる「かわいい」魅力を並立することが可能となる。
 このとき、女装者に対し、一般的な「オカマ」のイメージ(アニメや漫画などで、それなりに年齢の高い男性でありながら似合わない女装を行い、またヘテロセクシュアルである主人公を同性愛の対象とみなす一部キャラクター; 要は「空気の読めない」人間のたぐいであり、実は現実の異性装・ホモセクシュアル・GID等とは一線を画する)を当てはめてしまうと、可愛い・可愛くないの議論のテーブルにあがる前に先入観によって排除されることとなる。
 しかし、この保守的な先入観を取り払うことで公平な視点を確保することでキャラクターの存在について正しく議論することが可能となり、新しいキャラクターの魅力を発見することにつながる。
 なお、タイトルの「女の子」とは、保守的な先入観を取り払った存在を象徴的に指す。先入観を持つのは比較的男性に多く、女性に少ない傾向があるためである(言うまでもないが、すべての男性および女性に当てはまるわけではない)。

3.1.1 プリンセス・プリンセス ――河野亨、四方谷裕史郎、豊実琴
 主人公「河野亨」は、転校して早々、生徒会業務として女装させられる。この生徒会業務は「姫」と呼ばれ、一般の生徒にとっての崇拝の対象として設定されるものである。
 そして、「姫」の働き次第で生徒のモチベーションが変化し、それぞれの部活動が残す成績に大きな影響があることは周知の事実である、本作品の特徴はまさにこの点にある。そして、姫の功績はやりがいとなり、亨と同じ姫である四方谷裕史郎、豊実琴の二人との友情を育むきっかけともなる。
 理事会すらもがこの活動を承認しており、好意的なものとしてとらえている(アニメの場合。原作は未確認)ことも特徴的。
 本作品は女性向けとして製作されたものではあるが、アニメとなったことで男女を問わず知られることとなった。以降、内容についてはアニメ版について語る。

 本作品は、前述の「姫」システム、すなわち「選ばれた可愛い人間による女装」が学校の伝統として定着していることから、女装に対するネガティブなイメージがそもそも存在しえない点がスタートラインとなっている。姫としての業務を通じて、河野亨・四方谷裕史郎の友情を描く物語の中で、狂言回しの役割を担うのが豊実琴である。
 作品世界の中で唯一、女装に対するネガティブなイメージを振りかざす彼もまた姫のひとりであり、この特性ゆえ姫の業務を始めると、見た目、性格ともにルイズ・フランソワーズ(ゼロの使い魔)同然のツンデレ美少女ぶりを見せる(もちろん、本人は姫の業務を嫌っているだけである)。
 もちろん、亨・裕史郎の両名もそれぞれの「姫」としての魅力を存分に発揮し、生徒たちを魅了していることは言うまでもない。

3.1.2 ニコニコ動画 ――Vocaloid KAIKO
 さて、いきなりではあるが、これは作品ではない。
 ニコニコ動画はニワンゴの動画投稿サービスであり、VocaloidはYAMAHAの商標である。また、KAIKOはKAITOの故意の誤植であり、KAITOはクリプトン・フューチャー・メディアの発売する、男声ボーカル・コーラス用のDTMソフトである。要は、「初音ミク」の男声版であると理解していただければ差し支えない。
 初音ミク人気の爆発とともに、初音ミクのシリーズである「MEIKO」「KAITO」らが見直されつつある中、「鏡音リン&レン」の発売により、ニコニコ動画および周辺サイトでは、Vocaloidシリーズを兄弟とみる二次創作の作品が相次いだ。話題は少しそれるが、それぞれのソフトウェアの特徴として、MEIKOはシンガーソングライター・拝郷メイコ氏に由来する味のある高音を特徴とし、KAITOは歌手・風雅なおと氏の持つ表現の広さを特徴とする。初音ミクは声優・藤田咲氏のアニメ声と操作性の高さを、鏡音リン&レンは声優・下田麻美氏の歌に特徴的な演歌調・舌足らずな表現による幼さを特徴とする。(このあたりは異論も大いにあると思われるが、私個人の感想ということでご容赦いただきたい)
 この潮流の中で、低音に強いはずであるKAITOの高音の響きに注目しているユーザーが数名いた。そのうちの一人が、当時初音ミクの3Dに用いられていた「らぶデス2」を用いて、KAITOに如月千早(THE iDOLM@ASTER)のコスプレをさせ「青い鳥」を歌わせた動画が、KAITOの女装である「KAIKO」の火付け役となった。KAIKOの名称自体も、「解雇」とのダジャレとなっている(偶然にも、同時期に別のユーザーにより作成された、「みっくみくにしてあげる」の替え歌である「解雇解雇にしてあげる」が人気を呼んでいた)。
 それ以来、KAITOの高音を「KAIKO」とし、KAITOの女装と定義する風潮が定着した。
 また、これによりMEIKOの低音を「MEITO」として、MEIKOの男装とする視点が発生している(MEIKO特有の味のある低音、という特徴的な声がまた一興である)。MEIKOとKAITOの低音・高音を逆転させ、MEITO&KAIKOとする作品も発生し、今後が期待される。
 なお、初音ミク・鏡音リン&レンについては、このような現象は(ニコニコ動画の上で、ネタ以外では)発生していない。

3.2 男性の、男性による、男性のための「男の娘」
 エロゲーの業界において、女装少年という存在は昔から細々と存在していたが、おとボクで一挙に注目され、はぴねす!で急速に発展・定着した。前述した「保守的な先入観」さえ取り払ってしまえば、ヒロイン至上主義であり徹底的な萌えを至上命題とするエロゲーに男性キャラクターを採用することが容易となり、描くキャラクターの幅が広がることは言うまでもない。
 そして、先入観はすでに取り払われた。ここでは、「おとボク」後の例をいくつかあげてみたいと思う。

3.2.1 恋する乙女と守護の楯 ――山田妙子
 まず紹介するのは、AXLより発売されたゲーム「恋する乙女と守護の楯」である。本作品は、おとボクの初期コンセプトであった女装&女子校潜入ラブコメディとしての性格を強め、またマリみて色を消すことで、より男性向けに近い作品となっている。
 主人公「如月修史」は、女学園に通う要人の娘二人を、それと知られず可能な限り近い位置にて警護するため、女学生「山田妙子」に扮し、女学園に通うこととなる。
 本作品に於いては、主人公は女装をし、女性として振るまいながら、男性としての知覚と思考を保ち、警護の仕事をこなす必要がある。とくに終盤では、一瞬でも気を抜いた瞬間にヒロインが暗殺組織に殺されるため、主人公に感情移入すると、平和なパートでさえ、危険のにおいを探す胃の痛みを感じつづけることとなる。
 ただし、第三者視点で平和なパートを眺めると、主人公がいかに可愛らしい容姿をしているか、また、それにより、ヒロインたちにどれだけ愛されているか、という事実を見るのはたやすい。
 この事実はソフトウェア制作側も了解済みなのか、2008年2月に発売されたCDドラマでは、如月修史のCVに釘宮理恵をあてている。彼女の役回りが「ツンデレロリ」の代名詞であることは周知の事実と思う(有名作品に、「灼眼のシャナ」のシャナ、「ゼロの使い魔」のルイズ、「ハヤテのごとく!」のナギなど)が、修史であり妙子であるという難しい演技を「鋼の錬金術師」のアルに似た声質で見事に演じ切っている。

3.2.2 はぴねす! ――渡良瀬準
 続いて紹介するのは渡良瀬準。彼の存在は女装少年の地位を一挙に高め、女装という概念をサブカルチャーとして確立するに至った。
 うぃんどみるから発売されたこのゲームにて、渡良瀬準は、主人公の親友として登場する。にもかかわらず、4人のヒロインと2人の隠しヒロイン、2人のサブヒロインと比較して、圧倒的な人気を見せつけることとなった。
 簡単な証拠としては、mixiコミュニティへの参加人数(本稿の数字は2007年12月25日現在)を見ていただくと早い。作品のコミュニティとして、はぴねす(でらっくす含)1194人、はぴねす!りらっくす641人、アニメはぴねす318人。メインヒロインおよび隠しヒロインの人気は、春姫597人、杏璃837人、小雪281人、すもも358人、伊吹391人、沙耶135人となっている。
 これに対して、準コミュニティの参加人数は2075人と、群を抜いて多いと言わざるを得ない。
 また、これと呼応するかのように、2006年4月に行われたWindmill Festivalにおいては、15サークルすべてがはぴねす!を、うち12サークルが準を取り扱っている。この中で、準を主人公orヒロイン格とする作品を発表したサークルは7サークルに上る。
 これにとどまらず、準オンリーイベントが2007年3月、9月の2回開催され、ともに盛況に終わっている。メインヒロインですらないキャラでこれほどの待遇を受けたのは、With Youの伊藤乃絵美以来ではないだろうか(見落としがあったらごめんなさい)。

 参考まで、通常エロゲーにおいては、主人公を中心とする男性群は、主人公・ネタキャラ・ライバル、の三名であることが主である。もちろん、ゲームによってライバルやネタキャラの増減はあるものの、モブ(群衆)に属さない男性キャラクターはこのパターンに帰着されることが多い。通常のストーリーにおける「いじめられキャラ」は、エロゲーの文脈においてはたいてい主人公またはヒロインに属する。
 すなわち、渡良瀬準は、主人公のライバルキャラとしての文脈に属するが、この文脈からの行動が、オカマキャラ特有の強力な個性を発揮する。この個性とは、「主人公いじり」と「的確なアドバイス」である。
 ただし、ライバルキャラとして持ち合わせていたこの特性が、準のオカマキャラとしての特性と組み合わさることで、準には「お姉ちゃんキャラ」としての性格、すなわちヒロインとしての性質を持ってしまった。これは、はぴねす!体験版を公開した時点でうぃんどみるが認めた失策であり、これに対する回答は、ファンディスクにて準を正ヒロインとして昇格させるほかにはなかった。「はぴねす! りらっくす」に収録されている作品の一つ「ぱちねす!」において、主人公の小日向雄真は、すべてのヒロインに囲まれてうはうはな世界を経験したにも関わらず、ヒロインの誰一人も選ばずに準を選んだ。

3.3 反論:先進的な概念は共有されない ――はなマルッ!、PiaキャロG.O.
 さて、上記ばかり見ていると、可愛い女装少年について肯定的な見解ばかりととらえられるが、もちろんそんなことはない。当然、反発されるキャラクターも存在する。
 その反発が特に顕著であったのは、「はなマルッ!」のヒロイン桐嶋菫、および、「Piaキャロットへようこそ!!G.O. 〜グランド・オープン〜」のヒロイン姫川かずみの2名である。ともに性同一性障害を患う男性であるが、本人シナリオに入らない限り分からないため、プレイヤーの間では「気持ち悪い」「ダマされた」といった声が飛び交うこととなった。
 この2作品共通の問題として、作品紹介、あるいはゲーム序盤の共通部分にて、性同一性障害であることが示されないことが理由として言われている(該当作品をプレイしたことがありませんので、私が作品の評価を行うことは不可能です)。この理屈を適用すると、前項までに示した女装キャラはすべて、作品の序盤以前に男性であることが判明していることが分かる。
 ただし、性同一性障害は本人の心と体に関わる問題であり、序盤の共通ルートで明示するには重い問題である可能性も否定できない。この意味では、性同一性障害という深刻な問題を取り扱うほどには、エロゲー――あるいは、物語――というプラットフォームは進化していないのかもしれない。

3.4 まとめにかえて:バーチャライぜーション ―― 例題から見えるもの
 本章で示した女装少年が受け入れられる/受け入れられない、の議論の前に、一点考えてみるべきことがある。もし、彼らが普通の女の子で、性格も境遇も作品内の立場も同じだった場合に、果たしてどうなるか。
 もちろん、ありえない仮定にすぎるが、思考実験として考えてみるべき要素ではある。この思考実験における注意は、性格・境遇・立場を一切変更しない点にある。たとえば、姫川かずみを女性とした場合、単純な設定変更では性同一性障害による悩みが存在しなくなる、すなわち境遇や立場が大きく変わってしまう。この点を考慮しながら、性格・境遇・立場を可能な限り変更しないためのロジックを別に持ってくる必要がある(たとえば、逆の意味での性同一性障害で悩んでいる、など)。
 私が出した結論としては、瑞穂と妙子に恋愛要素およびそれに伴う“力”が消えるだけで、その他特に変わるところはないように思う。菫、かずみの両名についても、「メンヘル女うざい」(注:メンヘルとはメンタルヘルスの略で、心の病を来している人間を指す。この利用例の場合、それを転じて非常識な行動・言動を行う人間への蔑称として用いる)との感想を抱くに過ぎないと思われる――こちらは、ゲームをプレイしていないが故の推測に過ぎないが。

 この、やたらと難しい調整を必要とする思考実験で、要するに何が言いたいのか。
 この思考実験により、二次元のキャラクターにおける「実際の」性別を考慮してやる意味は、実はほとんどなく、重要なのは、「可愛い」「美しい」など、個人の持つ性質である、という点が明確化されるためである。もちろん、これらの性質を兼ね備える者の多くは女性ではあるものの、すべての女性が持つ性質ではなく、また一部の男性が持つ性質でもある。
 顔も性格もスタイルも最悪の女性と、少女と見まごうばかりの美しさと器量の良さを兼ね備える美少年。夢を見るために仮想化された世界の中で、わざわざ前者を選んでやる理由はどこにもない(もちろん、前者を選ぶ人がいても良い。好みは十人十色なのだ)。

紫苑さま聖誕祭イベント

2008年3月24日 月曜日

3/21にいつものネタをおとぼくおえびでやったところで、一日とんで3/23。
秋葉原は古炉奈にて、紫苑さまの聖誕祭と称したお茶会をやってきました。

某所にて、眠い目をこすりつつ知恵熱を出していたところで予定時間をオーバーし、1時間ほど遅れての到着。

お茶会イベントのところで、きゃらばと!オンラインのデモプレイを行った。人間対人間の「きゃらばと!」のおもしろさを少しでも感じ取れていただけたならば幸い。ご協力いただいた謎のXさん、にぅいーなさん、tokinoさん、takayanさん、どうもありがとうございました。
きゃらばと!オンラインが落ち着いたところで、お茶会の雑談をする。とりわけ、おとボクととらハの歩んできた道のりの共通点についての議論が興味深かった。同じような道を歩んできたとらハは、スピンオフであるリリカルなのはと決別したが、おとボクの原作とアニメは、「櫻の園のエトワール」という救いが見える、との主旨。まとめサイトといい、萌部といい、おとボクという作品がいかにに愛されているかを実感できるお茶会トークとなった。

# メモ。
# 8/15(金)18:00〜 より、奏ちゃん聖誕祭イベントとして、誕生日ケーキ付きのお茶会やります。場所は全く未定ですが、古炉奈は断られました orz

その後、一旦メンバーと離れて、アキバで少し買い物。

再度合流してから、二次会、三次会と店をはしごして渡り歩く。雑談の中で、私たちがおとボクの名の下に集うことになったことについて、運命という言葉を実感せざるを得ないような話もいくつか飛び出し、非常に充実したアフターイベントとなった。

気がついたら22時半近くなっていたので、解散。
楽しさは疲れの感覚を一時的に麻痺させるのであろうか、帰りの電車の中で、朝感じていたけだるさが束になって襲いかかってきたような眠気に耐えながら帰宅した。

今日は非常に充実した一日でした。
紫苑さまとおとボクへの愛を確かめ合うことが出来た、素晴らしいイベントであったことをここに宣言いたします。

(2) 男なのにお姉さま、男女の恋愛なのに百合? ――see the boy in a viewpoint of yuri, or shojo-ai

2008年3月7日 金曜日

 続いては「『おとボク』が異性愛中心主義を助長するものでないこと」の証明だが、先に着地点だけ宣言しておこうと思う。

 「恋愛は心でする物であって、性別でする物ではありませんよ?」―― 十条紫苑(処女はお姉さまに恋してる)

では、この結論に至る議論を、まずは、マリみてとおとボクの中だけで閉じる議論として行いたい。

 前章で述べたとおり、おとボクはエロゲーである。すなわち、主人公は男で、ヒロインである女の子と結ばれなければ話が成り立たない。しかし、この作品は男であるはずの主人公=プレイヤーに、徹底的に女の子であることを要求する。

 議論に入る前に、おとボクの設定を簡単に復習する。
 主人公・鏑木瑞穂は、鏑木財閥の御曹司にしてマルチかつパーフェクトな才能の持ち主。祖父の遺言がもとで、亡き母の母校である聖應女学院(PC-CD版では恵泉女学院、PS2版では聖央女学院)に、女学生として編入することになった。
 瑞穂のサポーターとして、入学を許可した学院長のほか、幼なじみの御門まりや、担任の梶浦緋紗子、瑞穂の女装を唯一見破った十条紫苑がいるが、それ以外の生徒・職員らには一切正体がばれてはいけない。瑞穂が男とばれた瞬間、聖應女学院を含む多くのグループ企業が風評により倒産、多くの従業員が路頭に迷うこととなる。
 そして、瑞穂は同じ遺言から、寮住まいとなり、まりやの他、上岡由佳里、周防院奏の二人の後輩と生活を共にすることとなる。もちろん、彼女たちにも性別がばれてはいけない。特に、奏は瑞穂のお世話係として、長い時間を共に過ごすこととなる。
 女性になりきる生活に四苦八苦しながらも、高い能力と人格のすばらしさを発揮した瑞穂は、転校間もないながら、聖應女学院の見本として「エルダーシスター」に選ばれる。このとき、堅物の生徒会長・厳島貴子より転校生を理由として反対意見が出されるが、即座に却下される。
 以降、瑞穂はエルダーシスター、すなわち理想の女性として学院生活を送ることを余儀なくされる。全校生徒の注目を集め、それでも男とばれないように。

2.1 女性たれ ――男性ゆえ「男性としての性自認」が排除されるシステム
 瑞穂は物語の中で、二十四時間、徹底的に女性として振る舞うことを義務づけられている(寝室はおろか、トイレですら例外ではない!)。この義務には、誇張なしに、人ひとりの命より重い責任がある。そのため、瑞穂は自らを女性として認識するように、徹底的に自己洗脳を施す。

「あわわっ…お、女の子女の子……私は女の子なんだから……っ………!」――宮小路瑞穂(処女はお姉さまに恋してる)

そして、周囲の反応も「宮小路瑞穂お姉さま」を賞賛するものばかりである。
 すなわち、宮小路瑞穂は、男性でありながら男性として存在することを許されず、また女性であることに対して強く賞賛される。

「女性の鑑のような方ですのね!」――一般生徒(処女はお姉さまに恋してる)

一瞬たりとも男性と認識されてはならない瑞穂は、複雑な胸中ながら、その評価に反発することは許されない。

「………きっとニュー瑞穂にもうすぐ生まれ変わるのよ。放っておきなさい」――小鳥遊圭(処女はお姉さまに恋してる)

 上記の考察におけるポイントは、「一瞬たりとも」男性としての性自認を持つことが許されないという点。エルダーシスターという立場により、学校内はおろか、寮内・町中でさえ、気を休めて男性でいられる瞬間を作ることが許されない。男性としての性自認を取り戻した瞬間、瑞穂には女装して学院潜入した変態とのレッテルが貼られる(だけならかまわないが、企業グループのトップに対するこの風評が、きわめて多数の人々の生活に影響が出るのは前述の通り)。瑞穂に残された男性としての責任感すら、瑞穂自身に女性でいることを求めているのだ。

 そして、おとボクにおいて物語を楽しむということは、主人公に感情移入するという意味であり、作品レビュー等感情移入なしに外面的な構造から分析を試みたとしても、それは的外れの評論を生むための、単なる苦痛でしかない。

それはまったくもって「苦痛」でしかなかったのではないか、と私は思います――takayan(おとボクの萌え構造 補遺・その1

 感情移入に成功した男性プレイヤーは、少なくともこのゲームをプレイしている限りは瑞穂と同一存在と見なすことが出来る。つまり、一般男性であるプレイヤーすら、女性としての性自認を持たされてしまうのだ。
 男性としての性自認を持っている人間が、簡単に女性としての性自認を持てるわけがない。この反論は一般的には当然のものであるが、上記考察を振り返ると、この反論を封じる二つの根拠がある。一つは、ゲームをプレイしている間に限られる点。女性としての性自認を持つのは、物語として瑞穂に感情移入している間だけでよい。もう一つは、男性としての責任感が強制している点。瑞穂は、祖父の遺言という「男同士の約束」を果たすために編入し、そして男バレがグループ経営に多大な影響を及ぼす。つまり、瑞穂が女性としての性自認を持つのは、このローカルな環境における「男としての責務」なのである。

2.2 女の子の世界 ――おとボクの立場からマリみてとの類似性を探る
 さて、続いては、前章で述べたおとボクが「マリみてのパクリ」と称される理由について、おとボクの立場でもう少し観察したいと思う。

 マリみてに特徴的なのは姉妹(スール)関係であるが、それに限らず女の子同士の友情がキーワードとなっているのは前章で述べたとおり。そして、これらを構築するための要素は、おとボクにも存在する。ここでは、要素分解を行うために、マリみてとの対応付けを行うが、作品が違うことから完全な対応はとれないことに注意されたい。

2.2.1. 瑞穂を二条乃梨子の立場にみる場合
 瑞穂は外部編入生という異質な立場でありながら、その類い希なる能力を用いて、急速に学院になじんでいく。この様子は一貫校であるリリアンに外部受験し、アウトローの立場から白薔薇のつぼみとなり、学園になじんでいった乃梨子と立場を同じくする。
 御門まりや:瑞穂を入学させ、入学後の瑞穂を導く。しかし、いつしか立場が逆転し、瑞穂に導かれる立場となる。このことから、まりやは松平瞳子と立場を同じくする。
 十条紫苑:瑞穂の正体を看過した後、御門まりやとともに、入学後の瑞穂を導く。また、将来への悲観から人を遠ざけていたところ、瑞穂の力により周囲に心を開くことに成功した。このことから、紫苑は藤堂志摩子と立場を同じくする。

2.2.2. 瑞穂を福沢祐巳の立場に見る場合
 また、瑞穂はその人柄をクラスに受け入れられ、級友達とも良い関係を築き上げる。これは、福沢祐巳が山百合会に飛び込み、築き上げてきた人間関係に近い。
 十条紫苑:よく言えば高貴な、悪くいえば近寄りがたい、人を遠ざける雰囲気を元々持ち合わせていた。前述したとおり、瑞穂の力によりその雰囲気を和らげ、周囲とのコミュニケーションを正常化できた。福沢祐巳の影響を受け、成長著しい小笠原祥子の立場としても見ることができよう。
 また、別の視点もある。六万円のパッドに釣られて(あるいは、釣られたふりをして)瑞穂とスキンシップを取ろうとする様子は、佐藤聖のそれともたとえることが出来る。
 小鳥遊圭・高根美智子:ストーリーには絡まないものの、瑞穂の級友として、そしてアドバイザーとして良い交流をかわす。性格や手法こそ全く違うものの、積極的な影響を与えに行く圭は島津由乃の、ゆっくりと待ち的確なアドバイスを与える美智子は志摩子の立場として見ることができる。

2.2.3. それ以外の関係性
 さて、上記に出ていない主要キャラクターは、厳島貴子、周防院奏、高島一子、上岡由佳里の4名。では、彼女たちをどう解釈すればよいのか。

 まず、厳島貴子であるが、マリみてにはそもそも対立構造が存在しないため、貴子のキャラクターがもたらす主要構造である「対立構造をぶちこわす」演出がマリみてでは不可能。したがって、瑞穂と貴子の関係に類似する関係は、マリみてには存在しない。もっとも、おとボクでもこの対立構造は本質的意味がなく、貴子の堅物キャラ(エルダー選挙)や嫉妬心(十月革命)を描くためのツールに過ぎない。この意味では、山百合会(祐巳)と新聞部(真実)の関係になぞらえることも不可能ではないが、これは牽強付会か。

 続いて、周防院奏であるが、一般的に瑞穂と奏の関係がもっともマリみてらしいとされる。奏は瑞穂のお世話係すなわち「妹」として瑞穂とともに行動し、瑞穂は奏を指導する立場すなわち「姉」として奏の行動に責任を持つこの構造は、マリみての姉妹制度そのものである。ただし、瑞穂と奏の姉妹においては、奏から瑞穂への影響や知識の伝授も少なくないことに注意する。この意味で、瑞穂と奏の関係は、マリみてにおける祥子と祐巳の関係に近い。
 なお、参考まで、主要キャラの在学期間(判明分)は、まりや・貴子・美智子>奏>(壁1)>圭>(壁2)>由佳里>瑞穂、となっている。

 高島一子についても、基本的には奏と同じ立場・関係性である。ただし、一子の場合、瑞穂を男性と認識しているため、マリみてのような「姉妹関係」の匂いは薄いため、関係性を学園の外、すなわち祐巳と祐麒の関係におく(祐麒は祐巳に対する良いアドバイザーとして働くことが多い)。

 最後に、上岡由佳里であるが、実は瑞穂との直接的関係は、同じ寮に住んでいる下級生という包括的なものだけである。ゆえに直接的に明示できる関係は存在せず、瑞穂と菅原君枝の関係同様、「友達の友達は皆友達だ」のような関係性となってしまう。もちろん、お互いの努力と相性によって、それが良い関係に発展することも多い。当初段階では、マリみてにおける祐巳と内藤笙子の関係、あるいは由乃と瞳子の関係が比較的近いか。
 また、キャラクター単独として瑞穂と由佳里を比較した場合でも、積極的な誰かにいじられることで光るおとなしい性格が共通していることも、直接的な関係構築を難しくしている(ゲームにおいては、瑞穂の成長によりこの難題を解決している。瑞穂の成長物語としての一面が強く表れる場面の一つでもある)。

2.2.4. まとめ ――友情を育むための仕掛け
 以上のように、マリみてとおとボクでは舞台装置ばかりでなく、人間関係まで似ていることが発覚した。また、マリみてになくおとボクに存在する要素として、ライバル(貴子)があるが、対立軸を造ることで強い友情を、それを壊すことで広い友情を手に入れることができる。
 上記では考察を省略したが、ヒロイン同士の関係性においても、マリみてに類似の関係は多く存在する。
 マリみてでは時間をたっぷりかけることで友情を育ててきたが、おとボクでは時間が不足しているため、友情を育てやすいイベントの構造をとる。これの善し悪しについては意見は多くあると思うが、本章の主張から離れるため議論を避ける。
 では、恋愛についてはどうなのだろうか。次からの三節において、恋愛についての考察を、いくつかの立場から行う。

2.3 異性愛という祝福 ――厳島貴子、高島一子
 まずは、一番わかりやすいところから。男女の恋愛を正とし、女性同士の恋愛を見ることが出来ない場合について考える。

 貴子においては、瑞穂に恋したと自認する頃から、女性同士の恋愛に関する異常性について思い悩んでいた。そんなときに、瑞穂が男性であることを知り、自らの感情が正常であると認識する。その後、いわゆる「デレモード」の状態では、行き過ぎた甘えと嫉妬、そしてそれに対する反省が行動の主軸に置かれる。そこでは、瑞穂をただひたすらに男性として見る視点ばかりが存在し、瑞穂がそれを咎める場面すら存在する。

「ここは女子校で、私は女生徒なんです……女の子と話している度にこれでは、身が保ちませんよ……?」――宮小路瑞穂(処女はお姉さまに恋してる)

 また、一子においては、幸穂の婚約に対する言い訳が同性愛への見解に否定的影響を与えた様子がある。

「そうね、私が男だったら、一子ちゃんをお嫁さんに出来るのにね」――宮小路幸穂(処女はお姉さまに恋してる)

そして、ありえないはずの「男性である宮小路幸穂」が、幸穂の息子という形で実現してしまった。もちろん、原作Interlude以降は一子も瑞穂をそのままの姿で見るわけだが、ノーマルエンドでは、自らを性欲処理のツールと宣言する一幕も存在し、瑞穂のことをずっと男性として見ていたとの解釈も可能である。

「わ、私を…その……えっちな本代わりになさって下さいませんかっ?!」――高島一子(処女はお姉さまに恋してる)

 貴子・一子のどちらにせよ、瑞穂が男性であるという事実が恋愛の推進に主要な役割を果たし、瑞穂とプレイヤーは男性としての性自認を取り戻す(それが危険なことであるにもかかわらず!)。
 この二つのシナリオは、サブキャラがそれほど生きない点が特徴となる。通常のエロゲーにはごく普通のことであるが、他のヒロインのシナリオと違い、マリみてに近い「女の子の広い友情」が全く効いてこない。
 これを逆読みすると、貴子・一子は、まっとうなエロゲー/ギャルゲーの構造を残した数少ないシナリオである、ということが分かる。このため、貴子と一子の人気の高さについての説明はきわめて容易である。

2.4 異性愛という原罪 ――周防院奏、上岡由佳里
 続いて、人気の意味で報われないヒロインの二人である。シナリオのレベルは高いと評価されるも、瑞穂に感情移入すればするほどプレイヤーの受ける傷が深くなるのがこの二人のシナリオである。

 奏シナリオにおいては、瑞穂と奏は何度も肌を重ねる(少なくとも4回、3回目が「幾度となく」のうちの1回とされているため、実際は遙かに多い回数と推測される)が、奏に対して瑞穂が性別を明かすのは最後の1回である(!)。それまでの間は、瑞穂が隠している秘密が重くのしかかる「レズ行為」であり、そこで育てているのは「女の子同士の恋愛感情」である。必然、瑞穂の心中は穏やかでなく、幾度となく罪悪感に押しつぶされそうになる。そして、瑞穂の抱える罪悪感を、奏は自らのわがままという形で解放する。

「それでも…それでもお姉さまは、自分の嘘が許せなくて、奏を捨ててしまうのですか………?」――周防院奏(処女はお姉さまに恋してる)、瑞穂の告白を受けて

 いっぽう、由佳里シナリオにおいては、瑞穂の男バレが最悪のタイミングでやってくる。女の子同士で結ばれる直前、キスした直後。その後、第8話のクライマックス直前まで、由佳里はその事実に苦しみ続け、相談するべき相手が誰も由佳里の言葉を肯定しない(それもそのはずで、由佳里の気持ちは瑞穂の全肯定であり、由佳里の言葉を肯定した瞬間に由佳里の気持ちを否定するパラドックスが待ち受けている)。このとき、精神的に追い込まれている人間の言葉に少しでも否定要素を持ち込むことは、その人の全否定を意味するため、状況と本心が真逆を向いている由佳里を完全肯定することは論理的に不可能である。

「どうして……どうして私があんな事云われなくちゃいけないの?!」――上岡由佳里(処女はお姉さまに恋してる)、紫苑の助言を受けて

そして、由佳里がとった気持ちの整理方法は、瑞穂を好きという気持ちで、性別という欠点を捨て去ることである。

「はい……だって、瑞穂さんは瑞穂さんで……ここに、この世界にたった一人しかいませんから……だから、瑞穂さんが女の人でも、男の人でも……へんたいさんでも、いいです……だって…大好きだから………」――上岡由佳里(処女はお姉さまに恋してる)

 奏と由佳里の二人のシナリオに共通することは、瑞穂が男性である事実が、恋愛の成就への大きな障害となっている点である。
 正確には、真実の障害は瑞穂の性別ではなく、ヒロインに対して「嘘を付いている」点である。しかしながら、(1)瑞穂が男性であるがため嘘をつき通す義務が課せられている、(2)「嘘を付いている点が真の障害」と気がつくまでに時間が掛かる、の2つの理由から、瑞穂が男性であることは恋愛成就の障害と言って差し支えない。
 由佳里の場合はヒロインの拒絶という形ゆえわかりやすいが、奏の場合は主人公の持つ罪悪感が障害となっている。どちらにせよ、瑞穂が男性である事実が、恋愛で乗り越えるべき最大の壁として立ちはだかるのだ。

2.5 弁証 ――御門まりや、十条紫苑
 瑞穂が男性であることに関して、2.3節では肯定の立場で、2.4節では否定の立場で描かれるシナリオをヒロイン二人分ずつ見てきた。では、残りの二人はどのように解釈すればよいのだろうか。
 他のヒロインとの差別化ポイントとして、この二人はシナリオが始まる前から瑞穂を男性と知っていることが挙げられる。

 まりやシナリオにおいては、作品内作品の映画「ウェービング・ストーリー」で外国に旅立つ男に、ついていく女と残る女を象徴的に描いているところ、エンディングにおいては、ヒロインであるまりやを外国に飛ばし、瑞穂は国に残ってひたすら待つという、物語テンプレートでの性別役割を逆転させている。そこに至るまでの過程として、瑞穂を「かわいいけど情けない男の子」から「心の底から格好良い男の人」に成長させ、さらには完全に男女の関係として結ばれたにもかかわらず、である。また、「やるきばこ」に収録された追加シナリオ「卒業旅行に行きましょう」では、まりや×由佳里のレズシーンが存在することから、まりやが性別を気にせず、個性を気にするタイプの人間であることも推測できる(注意として、まりやと絡むときの由佳里は「かわいいけど情けない女の子」として、初期の瑞穂にかなり近い性格を持つ)。

「そうだね、あたしは女で、瑞穂ちゃんは男で……でもね。あたしは、瑞穂ちゃんとそういう関係にはなりたくないんだ」――御門まりや(処女はお姉さまに恋してる)

 紫苑シナリオは、おとボクで最初の追加シナリオと呼ばれることもあり(根も葉もない噂ではあるが、企画段階では紫苑シナリオは存在しなかったとの話も聞こえている。これを示すかのように、同ブランド「うつりぎ七恋天気あめ」においては、幼なじみの女の子「天矢鮎乃」をメインヒロインとするシナリオは存在しない。また、「シャマナシャマナ〜月とこころと太陽の魔法〜」のヒロイン「ラビ・ロス」をメインヒロインとするシナリオは、「やるきばこ」のシナリオとして後に追加されたものである)、シナリオのクライマックスは伏線に満ちている。単語だけ並べれば、「鏑木家」「キリンの消しゴム」「厳島家」「病気」「奨学生」「修身室の鍵」「ドアの外」など、序盤や他のシナリオなどで使われてきた構図を多く見せている。当然、異性愛と同性愛についてのからくりも存在するのだが、瑞穂と紫苑のふたりをこの順番で、「男と女」「女と男」「男と男」「女と女」の関係すべてが描写されていることを以下で示す(ただし、恋愛関係とは限らない)。
 まずは、「男と女」の関係描写だが、物語序盤においては、学院に慣れない瑞穂の正体をいち早く見破り、導く役割を担う。物語終盤においては、十条紫苑という一人の女性を巡って、鏑木瑞穂と厳島兄はお互いを認識しないまま、紫苑を巡って対立する(そして瑞穂が勝利を収める)。ただし、あくまで「最初と最後だけ」がこの関係描写にふさわしいことに注意する。
 続いて、「女と男」の関係描写。CD-ROM版のパッケージ絵を見ていただきたい。先入観なしで、右の人と左の人、どちらか片方が男であるとして問題が出された場合に、「左の人」と誤答した事例は多い。また、これを裏付けるかのように、終盤、瑞穂は紫苑に「バレンタインチョコ」を渡している。
 「男と男」の関係描写は、多少特殊な方法を用いる。演劇「ロミオとジュリエット」である。この中で、紫苑は口の達者で気障な青年マキューシオとして、小鳥遊圭のアレンジのもと、ロミオ=瑞穂の友人を演じることに成功している。
 最後に、「女と女」の関係描写だが、瑞穂を友人と定めたその日から、学校生活の殆どを「女と女」の関係で過ごす。ロッカーでの胸パッド遊びから、お見舞いから、文化祭から、何から何までである。それも当然で、両者ともに女らしさが徹底して求められる「エルダーシスター」の立場にいるためである。
 このように、この二人を男女で見るときにはいろいろな描き方が存在しているため、性役割の視点からキャラクターを一意に定めることは、特に議論を行う際に危険である。

「瑞穂さん……あなたはさっきから男だって云ってみたり女だって云ってみたり……都合が良すぎますよ」――十条紫苑(処女はお姉さまに恋してる)

2.6 まとめ
 まず、2.1節では、瑞穂が男性であるがゆえに女性としての性自認を持たされることについて検証した。続いて、2.2節では、女の子の世界として、マリみてに類似した、友情ベースの世界観の構築を確認した。2.3節から2.5節にかけて、恋愛の形としてのおとボクについて考察した。
 恋愛の考察において、瑞穂の性別は「男性のほうがよい」「女性のほうがよかったが、その壁を乗り越えた」「そう、かんけいないね」の3パターンが存在することを示した。
 このパターニングを直感的に受け入れると、宮小路瑞穂は男性として、そして、女性としての両面から恋愛が可能であると推測される、果たしてこの解釈が正しいのであろうか?
 反論は、おとボクの中にある。冒頭でも引用した言葉であるが、再度引用する。

 「恋愛は心でする物であって、性別でする物ではありませんよ?」―― 十条紫苑(処女はお姉さまに恋してる)

また、同様の主張は、より厳しい体験をくぐり抜けた教師によっても示されている。

 「好きになるのは理屈じゃないわ。相手がどんな人間でも、好きになってしまえば関係ないの……性別だって、年齢だって、本当はきっと全然関係ないものなのよ」―― 梶浦緋紗子(処女はお姉さまに恋してる)

 そう、瑞穂の実性別は、おとボクという恋愛物語において、本質とはほぼ無関係なのである。であれば、その「百合っぽい」関係を本物の「百合」関係と区別することに、何の意味があろうか。