じょそう【女装】(名)スル男が女の衣服を身に着け、化粧をして、女のように見せること。⇔男装
三省堂提供「大辞林 第二版」より
コスプレを行うとき、女性の女装・女性の男装・男性の男装については、通常のコスプレとして扱われるが、男性の女装についてはこれらと比較して規定が厳しい場合が多い。
そのとき、問題になるのは、タイトルのような状況。類似問題としては、男性によるブリジットコス、八雲はまじコスなどが挙げられる。(河野亨コスの場合、制服か「姫」衣装かでまた難しい)
常識的に考えれば、女性の格好をしているのだから女装として扱う、というのが結論になるであろう。しかし、キャラクターコスプレというものの概念からすれば、この状況は間違いなく男性を模しているのだ。
コスプレイヤーだからというわけではないが、この状況をレイヤー構造として考えてみる。
レイヤー1:プレイヤーの性別
レイヤー2:キャラクターの実際の性別
レイヤー3:キャラクターの服装の性別
このとき、通常の仮装やオリジナルコスプレであれば、レイヤー1とレイヤー3のみが存在し、話は簡単である。性別の転換がここで存在するか否かが女装か否かを決定する。
女装キャラへのキャラクターコスプレの場合、レイヤー1・2間では性別の転換が起こらず、レイヤー2・3間で性別の転換が起こる。
このとき、レイヤー2とレイヤー3のどちらを現実世界へのインタフェースとして用いるかで、女装であるか否かが決まる。
ここまでの一般論では、女装である、女装でない、このどちらの理屈もそれなりに説得力を持つ。
違いは何か。それは、問題はキャラクターへの認知度。レイヤー2が認識されるためには、キャラクターへの認知が必須であり、それゆえ一般相手にはレイヤー2の主張は難しい。
しかし、キャラコスはこのレイヤー2が存在することが要なのだから、このレイヤー2を無視するわけには行かず、むしろ強調して然るべきと言える。
レイヤー2の存在を是とするか非とするか。女装かどうかの議論が宗教論争に根ざしていることが証明できたところで、このエントリーを終了する。要するに、心の持ちようなのだ。
……って、「心の持ちよう」でルールが書き変わるのはまずくね?