「物、作りてぇ」
会社の、誰もいない休憩室で、この言葉が出てきた。
人様にさんざ迷惑かけまくって物を作りあげたその日から、まだ一週間も経過していない。
あるいは、この「ものづくりをしたい」気持ちは、単なる逃げである可能性も否定できない。
自分が歩んできたこの30年弱を、帰宅しながら振り返る。
喜びと楽しみは、常にものづくりと共にあった。
マリみてに単位を救われたのも、おとボクに健康を救われたのも、それがものづくりと共にあったからだとわかった。
私にとって、ものづくりこそが生き様、とわかったところで、言葉の意味がやっとわかった。
時には自分が作ったものすら捨ててしまえる力が要る。昨日まで自分が最先端だと思っていたものが、ある日別のものに塗り替えられることは往々にしてある。そのときは、迷わず自分のものは捨てないといけない。
(HOWS 庄司渉の“軽い結び付き” より)
自分が作ったものを捨てるのは、これからものを作り出すため。
この直進が、たとえ「バターン死の行進」であったとしても、生ける蝋燭である現在よりは、ずっとましなはずだ。
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